
ユーモラスなタイトルと斬新な表紙で始まる本書は、写真家のワタナベアニが写真家独自の視点で世の中を斬る、爽快な哲学入門書だ。言葉の使い方や話の展開が巧みで、読者を飽きさせないよう細心の配慮がなされている。
『得をしないために書いた』と筆者が言う本書は、ブランド物や地位、名誉や貧富など誰かが開いたレースに知らず知らずのうちに出場させられてしまった、生きずらさを感じている日本人に読んでほしい。自己紹介をするときに自分以外のもので、お金を払えば誰でも買えるもので勝負を仕掛ける心の貧しい日本人が多い。それは自己紹介ではなくタコ紹介であって、『玉ねぎの皮が厚く、芯がない状態』だとアニは言う。
我々の社会は恥の文化から罪の文化へと成り下がってしまった。日本的、古典的なbeingの文化からアメリカ的、近代的なdoingの文化へと落ちぶれてしまった。それによって、何が自分であるかではなく、自分は何をしたかに重きが置かれてしまい、結果として、年収や地位、名声など所謂玉ねぎの皮の厚さで競争を始める幼稚な社会と成り果てた。
哲学とは『子供の視点を取り戻すこと』だとアニは言う。大人になるにつれて、多くの言葉を獲得する反面、無意識のうちに獲得してしまった暗黙の了解に挟まれて思考停止に陥ることが少なくない。哲学を学ぶと言うことは、この世界の知識や常識に色を塗られた大人が、裸の王様を指摘した子供のように、冷徹で本質的な眼差しを再度獲得するという尊い行為なのだ。
『働く』ことは『我慢をする』ことなのか。我慢をして稼いだお金でブランドものを買い、クレジットカードの請求書と毎月鬼ごっこをすることが人生なのか。子供の頃、夢に描いた未来像はそんな奴隷像ではないはずだ。やりたいことをやって、好きに生きる、そんな人生設計図をいつ無くしたのだろう。いつから『お金になる』ことだけを考え、『自分のやりたいこと』に目をつぶるようになったのだろう。『現実を見ろ』、『好きなことだけじゃ生きていけない』と善人の仮面をつけた大人は親切心で足を引っ張る。でも彼らは生きるために食べているのでなく、食べるために生きている。いつから自分の子供の夢を金銭に換算するようになったのだろう。彼らの心には文学がない。豊かな心がない。そんな大人の声は音色でなくてノイズだ。
やりたいことはできるうちにやっておこう。
本書があなたの飛躍を助けるものとなりますように。