個性について

 今回は『個性』について、私の考えを述べさせていただきたい。

 近年学校教育を中心に『個性を伸ばす』カリキュラムが組まれている。『個性』と言う言葉を聞くと、あたかも先天的に自分自身に何かが与えられていて、植物の発芽のように自分の内側から他人にはない特徴的な性質を出現させることだと考えている人が少なくない。もしくはお騒がせアイドルやストリートかぶれをして髪を染めたり、ピアスを派手に開けている人に個性を感じる人もあるかもしれない。

 そんな『個性?』を発芽させるために、『個性?』を持っている憧れの人を見つけ、真似をしてみるがとても自分には合わないと気がつき挫折、そんな繰り返しをしている若者が多い。『自分を持っている人が羨ましい』と若者はいう。しかし、自分を持っている若者などいないと大胆ながら主張させていただきたい。

 単刀直入に言って、この世に『個性』を持って生まれてくる人間は誰一人としていない。絶対音感等の特別な能力は才能であって、その人唯一の『個性』ではない。わがままさ等の性質は我が強いだけであって『個性』ではない。『個性』とは文化・文明を徹底的に踏襲した上で初めて現れるものであって、決して偶発的に自らの内部から無から生まれるものではない。

 茶道・花道には『守破離』の教えがある。先人の教えを徹底的に学び、自らのものにして、初めて自分流が生まれるという教えだ。『個性』も同じだ。日本文明が築き上げてきた文化や哲学、知恵などを文学や哲学書等の書物を通して徹底的に学び、自らの潜在意識に打ち込んで初めて、自らが日本人的存在のスタートラインに立てる。その後、自分の生き方と日本文明が結びつきそのとき初めて個性と呼べるものが開花を迎える。

 歴史を学んでいない者が、『個性がない』と嘆くことは、ガゾリンを入れていない車に向かって、走らないと嘆いているようなものである。必要なものは自ら取捨選択して取り入れなければ始まらない。

 従って、『個性』を開花させるためには、文学、歴史的書物を読み込んで自らの中に破り、離れる価値のある文明を携えなければならない。それは個性を獲得するという欲求を満足せしむるのみならず、本人の生き方、考え方が歴史に根ざしたものとなるために、魂を最重要視する歴史的な生き方ができることにつながるであろう。

 

 

 

 

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