親孝行について

 子供が大人になると、育ててくれた親への感謝から、『親孝行』、『恩返し』を試みる。『親孝行』といえば、温泉旅行や車のプレゼント等のサービスや物を連想する方も多いかもしれない。中には大学受験を成功させることが親孝行だと考えるひともいるようだ。

 しかし、本当の『親孝行』とは一味違ったものだと私は思う。本当の親孝行は『親からもらった愛情を、今度は自分が他の人に与えられるようになること』だと思う。親に直接恩を返すことが親孝行とは限らない。もちろん母の日に花束等を送ることは、感謝の表現として大切な行為だと考えるが、物をあげることよりも、愛を与えられる人間になることのほうが、徳の高い親孝行だと考える。

 親の前で人助けをすればいい、という話では当然ない。むしろ、親の前では一度もそのような機会に巡り会うことがなかったとしても、親の見ていないところで、誰かに愛を与えられる人間であることが何よりも重要だ。

 そうやってみんなが、もらった愛を他者に与えることができるようになったら、一人が二人に愛を与えるだけで、この世界はみんな愛に包まれることになる。でも、今は、もらった愛に気が付かずに、自分の欲望を満たすためだけに生きている人が多いから、困っている人が多くいる。

 だから、仮に大学受験で失敗したところで、親孝行が失敗したわけではない。親は恩返しをしてほしくて、愛やお金を捧げているわけではない。いい大学に入って、高級取りにするために産んだわけではない。自分の子供が元気に育って、立派な人間になることを見守っていることが何よりの幸福なのだ。

 あなたが子供を作ることを決心したとしても、そうだろう。子供が自分を助けてくれるだろうから産む、なんて理由で産みやしないだろう。可愛らしいその姿を少しでも長く見ていたい、そう思うから産んで、子供のために頑張るのだろう。

 だから、あなたが立派な人間になり、他者に愛を与えられる存在になれば、親孝行は完了するのだ。

 立派な人間になるには、日々のより良い情報に触れることが必要だ。潜在意識に良い情報を貯め、実在意識と潜在意識が一致することによって、信念を生み出し、自らの発する言葉や、自らの行いを本心から愛情に満ちたものにするためである。

 そのためには良書に触れ、文学に浸ろう。人生の出会いと別れなど、たかが知れている。書物の中の『出会い』、『別れ』に触れることで、自らの心に文学性が生まれ、先人たちの強く尊い生き方を受け継ぐことができる。

 

 

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