孤独という言葉を聞くと、暗くマイナスな印象を抱かれる方が多いと思う。しかし、孤独とは美しい言葉であり、日本人が抱いている『孤独』のイメージは実は『孤立』なのだ。
『孤独』と『孤立』は正反対の言葉である。孤独とは『自己固有の運命に生きる決意をした人にのみ開かれる、独りで生きる生き方』であり、孤立とは『社会の圧力に負けた人間が、独りで生きる生き方』だ。
日本的な表現をすれば、『孤独』とは『求道』と言い換えることができる。永遠を志向して、崇高なものを求め続けることによって、孤独は開かれるのだ。例えば、茶道を極めるために、崇高なものを志向して、ただ独りで生きる、このような生き方を『孤独』という。孤独とは美しく、崇高なものなのだ。
反対に孤立とは、社会の圧力に負けた生き方だ。一般的に想像される孤立とは、友人や家族がいない状態、などであるが、それ以外の孤立もある。
大多数に流され、個性を失った生き方をしている人間もまた孤立している。仮に友人や家族に囲まれ、幸せを感じていても孤立している。
令和の時代に蔓延る社会保障は、人間の精神を蝕む害毒でしかない。社会保障は障害者等の必要性があらかじめ認められる人間にのみ、適用するべきであって、健常な人間の生活が困窮した際に金銭的に補助することは甘えでしかない。
このような『保証、安定』に手綱を握られた人間は孤立した生き方なのだ。すなわち、安定を求めてサラリーマンになった人間も、『安定』という社会の圧力に敗北しているから孤立している。すなわち友人や家族がいない人間と孤立という点では同じなのだ。
人間は、ただ独りで生まれ、ただ独りで死ぬ。自己固有の運命を愛した人間にのみ、運命は開かれる。孤独を愛した人間にだけ、崇高な生き方ができるようになる。
『孤独』という言葉の語源とされている詩がある。柳宗元の『江雪』だ。大意としては、鳥も全くいない千山の中で、笠を被った一人の翁がただ独りで寒江の雪の中釣りをする、というものだ。
本来『孤独』は美しい意味合いを持つ言葉。我々も己の運命を愛し、孤独な生き方をしたいものだ。
参考文献:『根源へ』執行草舟